麻布十番の路地裏に入ると見えてくる、二階建ての小さな一軒家。そこに掲げられた「Spica」という看板を目指して、日々、大勢のお客さまがいらっしゃいます。
けれど、経営が軌道に乗るまでの道のりは、決して平坦なものではありませんでした。そもそも創業者の手嶋慎太郎は、異業種からこの世界へ足を踏み入れた人物。何のノウハウもない中、どのように道を切り開いたのか。Spica創業までのストーリーを辿ります。
靴のメンテナンスを通じて「人が感動すること」を身を以て体感した。
大学卒業後、一般企業で働いていた手嶋。その毎日は忙しくも、充実していたといいます。
「社会人3年目からはブラジルでのプラント事業の担当になって、ガスパイプラインを引いたり、深海油田の開発をしたりと、今とはまったく異なる仕事をしていました。ただ、社会人になって4年半が過ぎた頃、起業を意識するようになったんです。実家が商売をしていたこともあり、いつかは起業したいと思っていました」
そこで手嶋が注目したのが、「革製品のメンテナンス」でした。それにはきっかけがあります。
「会社員1年目の頃から、自分で靴磨きをしていたんです。靴磨き自体は昔から好きで、暇を見つけてはお気に入りの靴を磨いていました。ただ、仕事が忙しくなるにつれて、靴磨きをする時間すらなくなっていく。そんな中、靴のメンテナンスをいわゆるチェーン店にお願いしてみたんです。そのとき、愕然としました。戻ってきた靴は履き心地が変わってしまっていたし、補修に使われた革もオリジナルとは全く違う色のものが使われている。『どうしてこんなことになるんだ…』と悲しさを感じるよりも、サービスの質の低さにショックを受けてしまいました」
同時に、靴のメンテナンスの重要性を痛感する出来事もありました。
「海外出張時、路上で靴磨きをお願いしたことがあったんです。すると、予想以上に美しく仕上げてくれて、とても感動しました。でも、日本ではその感動と同じクオリティのサービスはなかなか見つからない。むしろ、雑に扱われて不満を感じることのほうが多かったくらいで。だったら、その分野で起業してみようと思い立ったんです。きっと大勢の人を感動させられるはずだ、と」
目の前でお客さまが涙を流してくれた。それこそがSpicaが存在する意味。
「大手企業勤務」という安定を捨て、修理工房を立ち上げる。周囲の人たちは、そんな手嶋に反発しました。それでも決心は揺らぎません。
靴のメンテナンスグッズを販売する企業を訪ね、さまざまな技術を教えてもらったり、腕の立つ職人を一人ひとり探し当てたり、入念な準備を重ねました。そうしてSpicaを立ち上げたのは、2007年10月のこと。
「麻布十番にお店を出したのは、たまたまだったんです。不動産屋さんから『会社の寮として使っていた小さな一軒家が空くんですが、どうですか?』と言われて、実際に見てみるとすごくよかった。店が軌道に乗るまでは店の二階に住めるのもありがたくて。結局、オープンしてから5、6年はそこに住みながら経営に専念していました」
オープンして2年ほどは売上も伸びず、涙を飲むような日々が続きました。それでも少しずつお店の知名度が上がり、お客さまが集まるようになったのは、Spicaの理念が一人のお客様から、二人、五人、十人と、“技術とプラスアルファの信頼”という形でもって伝わっていったからかもしれません。
「Spicaの職人は高い技術力を持っています。でもそれは当然のこと。私が重視したのは、お客さまのリクエストに応えるだけではなく、そこから先のアドバイスや提案ができるかどうかです。それができて初めて“サービス”と言えますし、お客さまに感動を届けられる。そう信じています」
そんな手嶋の言葉を証明するような出来事もありました。Spicaを訪ねてきたお客さまが、目の前で泣き出してしまったというのです。
「持ち込まれた靴を綺麗に磨いてあげて、その上で細かな修理を施し、アドバイスを付け加えてお返ししたんです。すると『こんなに綺麗にしてくれて、ありがとうございます』と泣かれてしまって。オーバーかもしれませんが、革製品をメンテナンスするということは、それくらい誰かを喜ばせられることだと思います。今でもそのお客さまは定期的にSpicaを利用してくださっているんです」
取材・文 五十嵐 大
profile:ライター、エッセイスト。1983年、宮城県生まれ。2020年10月、『しくじり家族』(CCCメディアハウス)でデビュー。他の著書に『ろうの両親から生まれたぼくが聴こえる世界と聴こえない世界を行き来して考えた30のこと』(幻冬社)がある。
twitter:@igarashidai0729