Spicaに持ち込まれる靴やバッグには、その一つひとつにお客様の物語があります。大切な家族から譲り受けた、人生の節目に贈り物としてもらった――。
それらの背景と真摯に向き合い、丁寧にメンテナンスを施していくのが、Spicaの革職人たち。なかでも長年働く岡井晋吾は、確かな腕前と正確な仕事から厚い信頼を寄せられています。
ファッション好きな父親の影響で、幼い頃から靴磨きが習慣に
岡井はSpicaの古株。社歴は10年を超えます。
「Spicaで働くようになって、もう14年ほどが経ちます。25歳で転職してきたのですが、その前から靴修理業界にはいました。もともと、靴が好きだったんです。仕事にする前から、自分で自分の靴のメンテナンスもしていました」(岡井)
人によっては靴やバッグなどの手入れを億劫に感じることもあるでしょう。でも、岡井はそれが好きなタイプ。理由があります。
「父がアパレル業界で働いていたこともあって、実家には洋服や革製品が溢れていました。子どもの頃、そんな父から『自分の靴は綺麗に磨きなさい』と言われていたんです。高校生になる頃には靴磨きは習慣のようになっていて。それだけではなく、グローブなどのスポーツ用革製品もこまめに手入れをしていました。それを苦と感じたことはありません。むしろ、自分の手でピカピカになっていく様子がとても面白かったんです」(岡井)
革製品は丁寧に手入れすれば、何十年ももつ。これは岡井の口癖です。
「15年くらい履き続けている革靴があります。それは父が誕生日プレゼントとして贈ってくれたものなんです。ファッション好きな父らしいプレゼントだと思います。一緒に買いに行って、『どれが欲しいんだ?』と。その気持ちがうれしくて、メンテナンスしながら今でも丁寧に履いています」(岡井)
Spicaではオーダーシューズの販売もしています。そこには時折、息子さんへのプレゼントとして靴を探しに来る父親の姿も見られます。
岡井の父親は、先日、亡くなりました。しかし、「物を愛し、長く大切にする」という教えは岡井の胸中に残っています。そして、我が子のためにSpicaを訪れる年配男性を目にするたび、岡井は胸が熱くなるといいます。
お客様の笑顔を見るために、日々、新しい手法を試す
Spicaでは、お客様のリクエストに耳を傾け、一人ひとりの職人がベストなメンテナンス方法を提案しています。
「大手チェーンの修理店と比べると、地域に根付いているSpicaは、職人の経験値やセンスを活かしたメンテナンスをやっているのがひとつの特徴です。以前はここ、東京・麻布十番にもSpica以外の修理工房が何店舗かありました。けれど、もうなくなってしまって。そんななかでもSpicaが残っているのは、お客様に信頼されているから、だと自負しています」(岡井)
近隣に住むお客様のみならず、全国各地から配送によってさまざまな革製品が届けられます。思い入れが強ければ強いものほど、目の届かない場所にいる職人に仕事を依頼するのは不安が伴うもの。それでもいまだにSpicaを利用してくださるお客様が途絶えないのは、岡井を始めとする職人たちの仕事ぶりゆえ、かもしれません。
「信頼していただけるのはありがたいですが、まだまだ満足はしていません。どんなにキャリアを積んでも、日々、勉強です。プライベートでは自分の革製品をこまめに手入れしていて、ときには新しい手法を試してみることもあるんです。いきなりお客様のもので試すことはできないので、自分のものを使って実験しているイメージに近い。そこで発見した手法を、常連のお客様にご提案することもあります」(岡井)
どうしてそこまでこの仕事に情熱を注げるのか。それは「お客様の笑顔が見たいから」と岡井は言います。
「お客様が喜んでくださると、それが原動力になるんです。これから先もこれまで通り、丁寧にメンテナンスしていくだけですね」(岡井)
取材・文 五十嵐 大
profile:ライター、エッセイスト。1983年、宮城県生まれ。2020年10月、『しくじり家族』(CCCメディアハウス)でデビュー。他の著書に『ろうの両親から生まれたぼくが聴こえる世界と聴こえない世界を行き来して考えた30のこと』(幻冬社)がある。
twitter:@igarashidai0729